「あなたの心に…」

第3部


「アスカの恋 怒涛編」


Act.42 雨上がりの墓地で

 

 

 雨はすっかり上がったわ。

 お墓の掃除をするのに何の準備もしてなかったから、一度下まで降りたの。

 桶に水を汲んで、管理事務所の人に手ぬぐいを戴いて、そして一番上まで登った。

 シンジは水桶を最後まで持って上がるって聞かなかったけど、私がそんなことに納得するわけない。

 もちろん途中で交代しながら…、二人で並んで階段を登っていったわ。

 ホントは二人で一緒に持ちたかったけど、そこまで贅沢は言っちゃ駄目よね。

 

 墓石を丹念に拭いて、雑草も抜いた。

 敷石をひとつひとつ洗って、綺麗にした。

 うん、こうして時間を掛けて掃除をするっていうのも、この下に眠ってる人たちへの想いの表現なのかもしれない。

 もし、いつの日にかマナが私の前から消えてしまっても、

 約束するわ。

 私が掃除をしに来てあげる。

 たとえ、一億分の一の確率でシンジと結婚できなかったとしても、

 約束はたがえないわ。

 それに、マナがちゃんと私の娘になって誕生したら、マナが掃除を手伝うの。

 自分で自分のお墓を掃除するって、ちょっといいお話じゃない?

「どうしたの?アスカ、ずいぶん楽しそうだね」

「え?ほ、ほら、日本のお墓の掃除って初めてだから」

「僕はいやだったな…。お彼岸とかに掃除するとき、父さんが完璧主義だったから、

 とことん綺麗にするんだもん。しんどいし、時間は掛かるし…。

 帰りに食べるお善哉だけを楽しみにして、雑草を抜いてたっけ」

「へぇ、そうだったんだ」

 私は、黄昏てるシンジに指で水を弾いた。

「わ!やめてよ、アスカ」

「はん!そんなこと言ってる馬鹿シンジが今、このお墓を完璧に掃除しているのでした」

「あ…」

 足元を見渡すシンジ。これは完璧に綺麗って言える状態よね。

「さてと、もちろん、私はお善哉を奢ってもらえるんでしょうね?」

「え、あ、それは…」

「お善哉が駄目なら…。じゃ、高級ホテルのフルコースにするわ」

「本気?」

「本気」

「お善哉にします…」

「ごちそうさま」

 帰り支度をしながら、私はシンジに問い掛けた。

「ねえ、馬鹿シンジ。アンタ、今、幸せ?」

「え?」

「今のアンタが幸せかって聞いてるの」

「しあわせ…か」

 シンジはお墓の前に立って、もう一度手を合わせたの。

「アスカも横に立って」

「へ?」

「いいから、早く」

「わ、わかったわよ」

 私もシンジの横に立って、手を合わせたわ。

「マナ…。巧く言えないかもしれないけど、

 僕の今の気持を言うよ。

 2年前、マナが死んで…、僕の目の前は真っ暗になったんだ。

 いなくなって初めて、マナのことを好きだったんだって気付いた…」

 はは…、言われちゃったな…。しかも、こんな至近距離で。

 私はデイバッグの口から顔を覗かせている、お猿さんを見やった。

 シンジにこんなに思われてたなんて、うらやましいよ、マナ。

「それから、ずっと、闇の中に暮らしてたんだけど、

 去年の秋にマナの部屋に引っ越してきた女の子がいて…」

 それって、私のことよね!

「その子に、無理矢理光の射す場所へ引きずり出されたんだ」

「ひきずり…!無理矢理って」

「紹介するよ、マナ。

 僕の隣にいるこの子が、その惣流・アスカ・ラングレーさんだ」

「あ、あの、あのね、シンジ」

「アスカもマナに一言、言ってあげてよ」

 げ!

 私は半年以上前から、マナと毎日お喋りしてるんだって。

 マナと親友なのよ、って言うわけにはいかないよね。

 えへん!

「わ、私が今ご紹介にあずかりました…」

「ぷっ!」

「何よ、馬鹿シンジ!」

「だって、選挙演説みたいだ」

「うっさいわね、初対面なんだから、きちんとしないといけないの!」

「ごめん」

「えっと、何だっけ?え〜、とにかく、私が惣流・アスカ・ラングレーよ!

 壱中3年で一番の美少女で成績も学年TOPなの」

 私の顔をあきれた表情で見ているシンジ。

「何?文句ある?私、間違ってた?」

 首を左右に振るシンジ。

「そんな私が、馬鹿シンジの面倒を見てるんだから、安心しなさいよ。

 わかった?マナ、さん…」

「ありがとう、アスカ」

「あ、改まって何よ。照れるじゃない」

「ははは…。こんな物凄い人が…いてっ!」

「物凄いって言い方ないんじゃない!」

「何も後頭部殴らなくてもいいじゃないか。

 こんなマナ顔負けの乱暴者が…いてっ!」

「はん!後頭部じゃないわよ」

「つま先踏まないでよ。えっと、何だったっけ」

「こんな素晴らしくて美しい人が、でしょ」

「あ、そうそう、こんな向こう見ずでお節介焼きの人が…、殴らないの?」

「今の、誉め言葉でしょ。一応」

「はは…、え〜、とにかくそんな人がマナの代りみたいに突然現れたんだ。

 ずかずかと土足で僕の心の中に入って来るんだよ。

 おかげでこんなに笑って、マナに話し掛けることが出来るんだ。

 1年前の今日、このお墓の前で泣いていた僕と、

 今、こうやってマナにお話している僕はまるで別人みたいだろ。

 マナだって、こんな僕の方が好きだと思う。

 マナもアスカにお礼を言ってよ」

「いいわよ。お礼なんて」

「今ね、アスカの紹介で女の子と付き合ってるんだ」

 ずきっ!

 ダブルで、ずきっ!よ。

「それくらい元気になったんだよ、マナ」

 は、はは…。

「ありがとう、アスカ」

「な、なんてことないわよ、は、ははは」

 顔で笑って、心で泣いて、って…。

 心の中は集中豪雨よ!

 くそ!お善哉、3杯奢らせてやる!

 

 

 

「酷いよ、アスカ。5杯も食べないでよ」

「はん!美味しかったわ!まだ食べたりないくらいよ」

 げほっ!食べ過ぎちゃった。困った顔見たくて、無理しちゃったわ。

 ちょっと休まないと、大変なことになるわ。

「ちょっと、そこの待合室で座っていきましょ」

 墓苑に一番近い駅前にあった甘味処でシンジに奢らせた後、

 私は何食わぬ顔で待合室に座り込んだの。

 これはすぐに電車には乗れないわね。

 3杯で止めときゃよかったよ。

「僕、ちょっとコンビニに行ってくるね」

「うぐぅ…」

 私は返事も満足に出来なかったわ。

 ちょっと胸焼けが始まっちゃったみたい。

 お正月にお餅を食べ過ぎちゃったとき以来よ、これは。

 キモチワルイ…。

 私って、どうしてこんなにお調子者なんだろ。

 シンジと二人でいるからって、舞い上がっちゃって…。

 いっぱい奢らせた上に、迷惑掛けちゃって…。

 こんなんじゃ、レイの方がいいって思うのは当然よね。

 はぁ…、胸焼けの上に胸キュンが重なってんだもん。

 うぇ〜、最低だわ…。

 あ、シンジが走ってきた。

 うん、もうちょっとシャキッとしなきゃ。シンジに心配かけられない。

「はい、アスカ」

「え?」

 目の前に差し出された缶飲料。

 げげ、飲めないよ。嬉しいけど、気分悪い。

「飲みなよ」

「う、うん…」

 受け取ってはみたけど…、抹茶?!

「これ?」

「うん、ちょっと苦いかもしれないけど、少しは楽になるから」

 あ、わかってたんだ。

「そうなんだ…」

 私はプルトップを開けた。

「あ、アスカ、振ってない」

「へ?振るの、これ?」

「振らなきゃ、底の方苦いよ」

「え〜!最初に言ってよぉ。どうしよう…」

「指で蓋して振るとか、少し飲んでから軽く揺するとか」

「う〜ん、それくらいしかないか…」

 私は少しだけ飲んでみたわ。

「にっが〜い!振ってなくてこれぇ!甘いのがいい」

「駄目だよ。意味ないよ、それじゃ」

「意地悪…」

 私はシンジを上目遣いで見つめてやったの。

 シンジは少しドギマギしてるわ。

 ふふふ、ウルウル攻撃は何もレイの専売特許じゃないのよ。私だって。

「アスカ、そんなに睨まないでよ。怖くて…」

「ぐわっ!か弱き乙女が涙ぐんでんのに、に、睨むですって!」

「ご、ごめん、涙ぐんでたんだ。わかんなかった。ホントにごめん」

「ふん!」

 あ〜あ、私には似合わないのかな…。

 ずずず…。

 苦いや、やっぱり。

 

 

 少しずつ飲んだ抹茶が良かったのか、30分ほどしたら随分楽になった。

 もう夕方になってきたから、電車に乗ることにしたの。

 シンジはもう少し座っていた方がいいって言ってくれたんだけどね。

 あまり迷惑掛けられないし…。

 でも…でもね、シンジの肩を枕にしちゃったの。

 ううううう、嬉しいぃッ!

 今日がこんなにいい日になるなんて、想像もしてなかった。

 ホワイトデーのお返しの日以来だから、1ヵ月半はたつわ。

 シンジと一緒にこんなに長時間いられるのは!

 マナの方のお墓参りを後にして、ホントに良かった。

 ところが、あまりに幸福すぎたのか、

 ううん、やっぱり歩き回ったから疲れていたのね、

 しばらくしたら記憶がなくなってたの。

 シンジに揺り起こされるまで、完全に眠っていたわ。

 涎とか、鼾とか、寝言とか、してなかったでしょうね。

 凄く、不安。

 駅についてから家に電話して、シンジと歩いて帰ったの。

 足は痛いんだけど、ここで無理をしなくっちゃいつするのよ。

 久しぶりの二人の時間なんだもん。

 少しでも長く一緒にいたい。

 明日の体育、大丈夫かな?バスケだったっけ?

「アスカ、本当に大丈夫?足とか痛くない?」

 嬉しいよぉ。シンジが心配してくれてる。

「はん!大丈夫に決まってんでしょ。あの程度歩いたくらい、なんでもないわ!」

 強がりばっかり…。少しは甘えてみなさいよ。

 でもどうせ勘違いされるのが落ちよね。

「でも、あんなに甘いもの食べたり、電車で熟睡したのは疲れてたんだろ」

「そっか。私と一緒に帰りたくないんだ」

「違うよ。アスカが心配だから」

「はん!どうだか。あ、レイに見つかったら、怒られるからじゃない?

 浮気してたでしょって」

「何言ってんだよ」

 あ、シンジが怒っちゃった。黙ってソッポ向いちゃったよ。

 はぁ…、どうして私は憎まれ口ばかり叩いちゃうんだろ…。

 しばらく二人とも無言で歩を進めたわ。

 夕焼けが周りをセピア色に染めはじめている。

 うん、わかってるよ。シンジ、ゆっくり歩いてくれてるんでしょ。

 怒ってても、優しいんだ…。

 マナの事だって、お墓であんなに…。

 ん?マナ?何かマナで大事なことがあったよね…。

「あ!」

「ど、どうしたの、突然!」

「馬鹿シンジ、御守は?肌身離さずに持っている、あの御守は?!」

「え?何のこと?御守って…?」

 きょとんとした顔をして、シンジが立ち止まったわ。

「ほら、レイからもらったアレよ」

「ああ、あの御守、ってどうしてアスカが知ってんの?」

「あわわわ、レイから聞いたのよ」

 ホントはマナ経由で聞いたんだけどね。

「あ、今日は忘れてきちゃった。ははは」

「アンタ、恋人からもらったものを…」

 ほっ。良かった…。

 あんなのシンジが身に付けてたら、こんなに長時間近くにいたんだもん。

 マナがどうにかなっちゃってたわよ。

「御守をたくさん持ってもいけないし、綾波さんと会うときだけ持って出るんだ」

「じゃ、忘れたんじゃないんじゃない」

「あ、そうだね。ははは」

「何とぼけてんのよ。御守を別に持ってんだ?」

「え?あ、あの、うん、一つあるから。それをいつも持ってるんだ」

「へぇ…、マナ…さんにもらったとか?」

 ええ〜い、さん付けは喋りにくい!

「誰にもらったかは秘密。僕の大切な人だから」

 はは〜ん、きっと死んじゃったママの形見よね。

 喋ったら、私にからかわれるから、誤魔化してるんだ。

 まあいいわ。ママさんには勝てないから。

「そうそう、アンタ旅行大丈夫でしょうね」

「え?大丈夫だよ。綾波さんは怒ってたけど」

「ははは、うちの両親強引だから」

「そうだね、何も言い返せなかったよ」

「無理無理。私、14年と半年くらい、あの人たちの娘をしてるけど、

 絶対勝てないもん。あのラブラブ万年新婚夫婦には」

「ラブ…って、凄いね」

「そうでしょ。ドイツでも有名だったんだから」

「へぇ…、そんなに?」

「そうよ。そもそも、あの二人の馴れ初めは…。やっぱり、や〜めた」

「え、話してくれないの?教えてよ」

「だ〜め。聞きたかったら、また来週ね」

「何だよ。予告だけ?聞かせてよ」

「いやよ」


 そんなやり取りをしながら、私たちはマンションへと続く坂道を上がっていったわ。


 真っ赤な夕日が、私たちの影を坂道に長く伸ばして映していた。

 



 

Act.42 雨上がりの墓地で  ―終―

 

 


<あとがき>

こんにちは、ジュンです。
第42話です。
『アスカのお墓参り』編の後編になります。レイという存在さえなければ、すっかりラブラブのカップルに見えるのですが…。アスカ、ファイト!
次回はいよいよGWも後半戦。楽しい楽しい温泉旅行。
でも少し待ってくださいよ。シンジはGWの温泉旅行に物凄いトラウマがあるはずでは…!ということで、『アスカとシンジの温泉旅行』編に突入します!